「朝っぱらから襲ってくるような馬鹿はいないでしょう。私はなるべく大通りを通って行きますので、数馬さんもお気をつけて……」
翌日そう言い残して出かけていった春哉を見届けると、数馬は考えていた。
春哉の言ったとおり『浮橋』の陰間が一番怪しいのは事実だ。あのタイミングで事件が起こったことが数馬にそう思わせた理由であった。
(いったい誰が?)
浮橋の面々を思い出すが、数馬が通っていた頃に相手してもらった陰間たちは既に少なくなっており、ほとんどが知らない顔ばかりであった。刺客の言葉を信じないとするならば、数馬に春哉をとられた『浮橋』の主人が最も怪しいのだが、ほかにも嫉妬した春哉の客だった誰か、さらには春哉と出会う前、数馬によく喧嘩を売ってきたならず者の誰かによるものかもしれない。
(そうなってくると俺と春哉のどちらに因縁があるのかすらわからなくなってきた……)
「だあっ!もうっ、わかんねぇなぁっ!!」
頭をかきむしってイライラをおさめようとする。そしてふとこの前出会った人物を思い出した。
(華苑)
彼は古株だと言っていたが、春哉を身請けした当時に見かけたことはなかった。
『あなたはあの時の方ですね……春哉さんを身請けした』
しかし華苑は数馬のことを知っていた。それは当然だろう。数馬は当時、春哉が惚れた男としてかなり有名になったからだ。
華苑も数馬のことを名前だけ知っていた可能性もあるが、顔を見知っていたとも考えられる。前者の場合、春哉とともに『浮橋』に現れたことから自分が数馬だと推察したのだろう。
確かに見た目はごく普通で、すれ違った程度では印象に残らないほどに目立たない陰間である。しかしあのアクの強さといい、独特の妙な雰囲気といい、一度話せば誰でも彼のあの空気を感じ取ることができるだろう。そういう意味では派手で一風変わった陰間である。
(だが、あんな真似をするような人間だろうか?)
つかみどころがなく怪しいといえば怪しいが、その態度に悪意など微塵も感じられなかった。……巧妙に隠していたとするなら話は別だが。
(そして……夢丸)
彼とも面識はなかった。春哉を訪ねてきたときが初対面である。春哉を慕っているらしく、稽古ではこってりしぼられているようだ。大人しそうな性格で、幼さを残しながらも陰間らしい風情を持っているため、贔屓になる客もこれから多くなるだろう。
しかし春哉を身請けした当時はまだまだ幼く、膳の上げ下げなどをする程度の見習いであっただろうから、仮に『浮橋』にいたとしても数馬が覚えていないのも無理はない。
「考えても埒があかねぇなぁ……」
ふと稽古時間が近づいていたことに気付く。道場までの道のりはさほどないのだが、そろそろ出なければ遅刻するかもしれない。
(考え事はあとだ。今日はできるだけ早く切り上げねぇとな……)
竹刀を布にくるみ、その先に換えの道着をくくりつける。春哉が用意していってくれた道着と袴を手早く身に着けて外に出る。外に出てきている長屋の住人たちに挨拶を交わしたら、通い慣れた道をひたすら歩いていく。
(町の様子はいつもと変わらねぇのにな)
透き通るような青空を見上げる数馬の心は、やはり穏やかではなかった。